ユーグレナ培養の歴史

一度は失敗したユーグレナの培養

ユーグレナの培養は、多くの研究者たちにおける長年の課題でした。1980年以降、国の主導によって多くの研究者が参加する大規模な研究プロジェクトが実施。しかしながら、その結果は失敗に終わりました。今では大量生産が可能となったその培養技術は、数々の失敗の歴史の上に築き上げられたものなのです。

長年研究されてきたユーグレナの培養

ユーグレナ(ミドリムシ)の栄養価の高さや燃料としての可能性は、ずいぶん前から判明していました。そのため、多くの研究者がその培養に挑戦。中でも、もっとも大規模な培養プロジェクトとして知られるのが、1980年、当時の通産省が主導して行なわれた「ニューサンシャイン計画」です。プロジェクトが解散する2000年までの間に、多くの研究者がユーグレナの培養に携わってきました。

一度は「培養は困難」という結論に

しかしながら「ニューサンシャイン計画」は失敗。20年の長きにわたり多くの研究者が試みたユーグレナの培養実験でしたが、最終的に「培養は困難」という結論に至ったのです。

正確に言うと、ユーグレナの培養は決して難しいわけではありません。難しいのは、ユーグレナを補食する生物を排除すること。食物連鎖の最下層に位置するユーグレナは、他の生物にとってはご馳走なのです。いくら培養して増やしても、他のあらゆる生物から補食対象にされて数が増えない、というのが研究者たちの結論でした。

発想の転換でミドリムシの大量生産に成功

しかし、ユーグレナ社は困難と言われたミドリムシの大量培養を成功させました。成功のポイントは発想の転換だったと言います。

それまで多くの研究者は、ミドリムシの培養において「いかにして補食生物を駆除するか」という発想をベースにしていました。ユーグレナ社ではその発想を転換させ、「ミドリムシしか生きていけない環境とは何か」という視点から研究に着手。その結果、「ニューサンシャイン計画」が頓挫してからわずか5年後の2005年に、ついにミドリムシだけが生きていける培地(実験用の小さな器)の開発に成功したのです。

この培地の理論を元に、ユーグレナ社は沖縄県石垣島に大規模なミドリムシ培養プラントを建設。以後、ユーグレナの大量生産が可能となりました。現在では同プラントで年間約60トンものミドリムシを生産しています。

ミドリムシの量産が世界を変えるか?

ミドリムシの培養技術の確立により、専用のプラントを建設すれば大量生産が可能となりました。

食用として、エネルギーとして、バイオ素材として、医薬品の成分として、飼料としてなど、その用途はどんどん拡大しているミドリムシ。日本のみならず世界中に培養プラントが建設されていけば、将来的には世界の産業構造、食料事情等が大きく変わっていくかも知れません。

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